大荒れの津久井城(神奈川県相模原)
大荒れの津久井城(神奈川県相模原)
大荒れの津久井城(神奈川県相模原)
午前中から降ったり止んだりの不安定な天気。昼休みを利用して甲斐との国境に近い境目の山城、津久井城を散策してきました。かなり久々の訪城。

JR&京王相模原線橋本駅からバスの便もよく、歴史公園として整備され案内所もしっかりしていますから、家族連れのハイキングも楽しめますね。

でも当日は、大粒の雹が降るわ雷鳴が鳴り響くわで散々でした。山頂に向かう男坂は泥の川状態。雨男健在なのでした。

しかし、主郭に着いたころにはピーカンに晴れ上がり、今度は気温上昇のため生い茂った草叢がいきる(三河弁だろうか?)。
整備されているとはいえ、藪漕ぎが必要な場面もありましたが、竪堀、石垣、宝ヶ池などを散策し、北条方の無骨な山城を堪能できました。

下山途中、地元のハイカーの方の案内で山麓からの眺望を楽しみました。

かなり久々の更新です
何年ぶりの更新だろうか・・・?。IDも忘れてしまっていました。

私事ですが、ここ数年かなりしんどい思いをしながら生きてまいりましたが、今年新居に引越しをして、ちょっと生活も落ち着いてきました。

マイペースですが、少しずつ更新していこうと思っています。
奥山休賀齋の墓?
中津市にある奥平家の菩提寺・自性寺に墓参に出向いた折、昌猷公他の立派な墓地とは別に、寺の裏お囲い山寄りの墓域に「久嘉齋子孫累世墓」と刻まれた墓碑、隣に真新しい奥平家の墓石と墓碑を偶然見つけました。真新しい方の墓碑には、「初代奥平久嘉齋公重1602年没」とありました。
剣豪の奥山休賀齋(急加斉)の子孫の方でしょうか。休賀齋の墓も同墓地にあったのでしょうか・・・。今回時間がなく調査できませんでしたが、次回訪れた際に確認してみたいですね。
宮浜温泉にてリフレッシュ
7月中国、四国に長期滞在した際に、宮島に久しぶりに立ち寄りました。しかし余りの暑さに厳島神社への参拝もそこそこに宮島口へ取って返し、あなご飯で腹ごしらえ。

廿日市市にある宮浜温泉の庭園旅館に早めのチェックイン。露天風呂にゆっくり浸かり、久々にリフレッシュできました。庭園の薄明かりを楽しみながら創作にも力が入り、あっという間に夜が明けてしまいました(笑)。
賢島にてリフレッシュ
息子のリフレッシュのため、豪雨の中、伊勢志摩の旅に出かけました。見学予定は雨風のためほとんどキャンセルとなりましたが、メインは2年ぶりに宿泊する賢島にある旅館。宿に到着するころには雨も小降りになり、到着後さっそく客室露天風呂へ。さっぱりしたところで、これでもか!というくらいの膨大な夕食の前にさすがの私も撃沈。

北陸滞在

2008年4月6日
北陸滞在
白山市滞在の所用があり、休日に息子を連れて遊園地の手取フィッシュランド、そしてしぼりたてミルクのソフト目当てにMooMooまきば(加賀市)に出かけました。遊園地のコースターで疲れた後、園内のフードコートにあるアルバカレーにて昼食。ちょっと辛めですが、結構味わい深く美味しい。今度は小松市の本店で食べたいと思います♪店舗が関西や関東にも進出していますが、愛知にはまだ出店していないようですね。
食後は、平松牧場に隣接したMooMooまきばさんでソフトをたっぷり食べさせてもらいました。息子は、商品のぬいぐるみとマグカップが欲しくて欲しくて・・・(笑)。
帰りがけに、鳥越城、二曲城に立寄りました。息子はもちろん初めて。最近城にまったく興味がなくなっている息子ですから、遊具がない城跡ということですっかりご立腹。遠州鳥羽山城、信州春日城のイメージが強いのでしょうか・・・。
いよいよお別れの季節です
(画像は関宿城跡にて)
更新かなりサボっていました(汗)。
関東滞在が長く、転勤直前のバタバタもあってまともに帰宅できない状態が続いています。クライアントや関係機関の方々がひっきりなしに挨拶にいらっしゃる。31日には見送りにも来て下さるとのこと。たいへんありがたいことです。しかし、このまま転勤できるか心配になってきました(笑)。

ひとつの別れ

2008年2月16日 お仕事
ひとつの別れ
○○県の某市へ数時間かけて講演出張しましたが、スクランブルのため超特急で勤務先に帰還しました。クライアントの死に直面することは非常につらいことです。それが若年であればなおさらのこと・・・。いまはただ冥福を祈るしかありません。

2月13日の日記

2008年2月13日
2月13日の日記
昨夜から妻子が風邪のため発熱して寝込んでしまったため、何とか午後7時過ぎに帰宅し、買い物や夕食の準備に奔走しました。昨夜も息子が苦しんで眠れず、12時頃まで添い寝をしていましたが、そろそろわたしも風邪を移されそうです。加えてクライアントにも流行り風邪や伝染病に罹患された方が結構いらっしゃるので・・・。しかし今は休んでいる余裕はないので吹き飛ばすしかありません(笑)。

スクランブル発進

2008年2月9日
勤務中に救急車に同乗する機会がありました。これで5回目くらいでしょうか。隊員の方のテキパキとした対応いつもながら感心します。スクランブル発進が1つだけ減り、24時間態勢の緊張も少し解けました(ふぅ・・・)

いよいよですね

2008年1月30日 日常
いよいよですね
転勤が本決まりになりましたが、そんなことを考える暇のないほどバタバタしています。残り時間は少ないんですが・・・。
千葉での長期滞在を終えた後、しばらくは片道3時間の通勤に耐えていくしかないようです。息子の医療や教育にしばらく関わることができなくなるのが残念です。
週の初めから暗雲が・・・
昨日は1日中ぐったりとして、どこにも出かける気力がしなかった。妻が息子の遊び相手をしてほしいとしきりに訴えたが、ほとんどベッドで寝たきり状態だった(反省・・・)。
本日は息子が学校でパニックを起こし、早退。毎日送り迎えをしている妻が高熱を出してダウンしてしまった。明日は出張だが、私が送り迎えをしなくてはならない。
いよいよ仕事上の最大のヤマがやってきてしまい、2月からはほぼ24時間態勢をとることになった。妻子のことに関わる余裕がなく、妻の今回の発熱がインフルエンザでないことを願って・・・。
アルツハイマー病により認知症を起こしている母親を連れて通院した。この1年ほどで症状がかなり進行している。病院に行こうと促したが、絶対に嫌だと言い張ってから1年が経過した。
妄想・幻覚(30年前に亡くなった祖母が現れ、祖母のための布団を敷く行動が繰り返される)、買い物途中で迷子になる、金銭トラブル多発、買い物・料理のトラブル(火の扱い、同じものを反復して購入し腐らせてしまう、すべて一緒に炒めてしまうなど調理が不可能に・・・)
これで3度目の通院だが、わたしが付き添うのは初めて。母親は過去に病院に行ったことはもちろん覚えておらず、病院の駐車場や病院の受け付けで抵抗を示した。また受付の職員の視線を悪意にとり、怒りを露にした。また私が診察室に同伴するのも嫌がったが、何とかなだめた。医師の質問には素直に答えたのでほっとしたが、記憶の定着がないことはもちろん、季節の認識ができない
ようであった。
アリセプト(塩酸ドネペジル)の副作用も見られないようで、今日から5mgに増量し服用することになった。もちろん父親が管理して母親に飲ませている
今日の出来事について、何とか連想させることで記憶の定着を図ろうとした。帰宅後、病院に行ったことはすっかり覚えていない様子であった。しかし散歩がてら連れて行った田原市内の貝塚のことは覚えていたようだ。これからは少しでも楽しい思い出を作ってあげようと思う。すぐに忘却の彼方に消えてしまうかもしれないが、あきらめないで少しずつでもやっていこうと思う。母親の病気を理解しできるだけ間違いを指摘して叱ったり責めたりしないよう心がけたい。先日父親の目を盗んで自転車に乗って買い物で出ようとしたのを私が押し留めてしまった。一緒に行くからと行っても聞かない母親が乗る自転車を力で制止してしまった。
そのときの悲しそうな母親の目を思い出す・・・。事故などの懸念がありやむをえなかったものの、切なさが残った。こんなことを言えるのもまだ母親の認知症が重度になっていないからかもしれない。30年前認知症のため真夜中に徘徊し、箪笥の中に入れたm○○をむさぼった祖母を見て、「絶対にああはなりたくない」と話していた母親だったが・・・。気丈だった母親だけに言葉にこそ出さないものの、さぞかし苦しんでいることだろうと思う。
父親にも持病があり、今後の生活を考えていかねばならない。介護サービスの利用も検討していかねば・・・。
妻の親、祖父母も女手がなく今後妻の役割が増していくことになりそうだ。しかし障害の息子を抱えている立場にあり、とても支えていくのは無理。公的サービスを今のうちから検討しなければ・・・。こんな状況下での転勤命令はつくづくこたえる。
妻が疲労のためダウン。息子の通院・療育のため休暇を取らざるを得なくなった。しかし勤務中にトラブルが生じ、わたしの身の危険が迫るなどの混乱が生じたためなかなか早退できず、すっかり家族はおかんむり。大幅に遅刻しながらも何とか目的地に到着。
どうも頭痛がして意識が朦朧としている。かなり体調が悪いと思ったら、寝不足だけでなく忙しさにかまけて降圧剤を飲んでなかったからだとやっと気づいた(笑)。
今夜の冷え込みはかなり身体に堪えた。徒歩で何十分もかけて何とか訪問面談を終えて午後10時過ぎに帰宅したところ、息子は相変わらず不安定な状態にあった。妻に聞いたところ、私と遊びたい一心で帰りを待っていたと言う。今夜もほとんど眠れないまま朝を迎えた。
今夜は息子の通院と療育の日。仕事を終えて何とか駆けつけたが、息子の様子がどこかおかしい。声をかけてもほとんど反応がない。
帰りの車の中でぽつぽつ話し出したが、自己評価が著しく低下しており、マイナス思考の発言ばかり。他人が怖いと涙ながらに訴え、過去の出来事がフラッシュバック。自殺念慮が再燃し始めた。
深夜に何度も泣き叫び、部屋の中を走り出すなどして、なだめるうちにやがて朝を迎えた。
激しい痛みでなかなか眠れないので更新してます。
最近我が家のベランダ周辺で奇妙な異変がたびたび起きるようになりました。
深夜になると何処からともなく子供がやってきて玩具遊びをやり、明け方になると帰っていくようです。朝にはその痕跡がはっきり残っています。我が家はアパートの○階にあり、ベランダに子供が上がれるはずもなく、妻が気味悪がり、私に相談してきました。わたしはまた座敷ワラシか何かかな?程度に受け流していましたが、毎日続くので、とある神社でいただいた清め塩を四方に撒きました。やっとおさまったようです。もっとも息子には以前から日中にも姿や声を感じていたようです。そういえば思い当たるふしがありました。

悪魔の激痛!

2008年1月20日
今日は気分がイマイチで外出せず、ほぼ一日中ぼんやりしていました。こんなことはまずなかったのですが…。
息子はパニックを起こし不安定ながらも何とか一年遅れの学習に取り組みました。
夕方買い物に出掛け、帰宅した途端、肩から脇腹にかけて激痛が走り、息苦しくなり、突っ伏しそのまま動けなくなりました。高校時代の怪我から来る長年の持病です。二年に一度くらいの周期で季節に関係なく、きっかけもなく突然やってくるタチワルな奴です。普通なら一週間くらい安静なのですが、大事なヤマが続くので痛み止めで頑張ります。メール更新ができるくらいだから明日は何とかなるかな?
ほんと今日は山城の攻城に出かけてなくてよかった。もしかしたら一人で動けなくなって凍死してたかもしれませんね(笑)
息子の障害を理解できない認知症が進んだ私の母親が構おうとしたため、息子が大パニックを起こし、やむを得ず息子を連れ出し避難した。あやうく暴力沙汰になるところだった。今回でこのようなことは3回目になる。またまた私の両親と息子の間の溝が広がった。
しかし今回は息子なりにずいぶん我慢していたようだ。息子もまだ高齢者の認知症というものが理解できないので嫌がらせを受けたという認識だった。時間をかけて説明していく必要がありそうだ。
抱えていた思い
今夜は息子がこの2年間ほどの苦しみについて何気なくわたしに語ってくれました。

「何度も死のうとして飛び降りかけて、お母さんやお父さんに止められたよね。あのころは最悪の時だったよ。誰にも自分の気持ちがうまく伝えられなかった。いっそ世界が滅びればいいと何度も願った。でもそうはならなかった。今はそうならなくてよかったと思う。」

息子が抱えていた苦しみの大きさとともに息子の成長を感じました。そしてたくさんの方々に支えられてきたことに改めて感謝の気持ちを強くしました。

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