十三本塚

2003年11月24日
午後の時間を利用して高校時代のサークルでも調査したことがある十三本塚伝承地付近を散策しました。
今川義元が桶狭間で戦死してから、今川から離反する東三河の武将が増えました。当時の吉田城城代は大原鎮実。多くの人質が処刑されました。見せしめのため磔刑となる例は多いのですが、女性子供が中心で、その数13。13という数字の伝承が全国各地も見られるので、数については若干疑問がありますが、どうやら処刑があったのは事実のようです。場所は吉田城下の龍拈寺付近。処刑後にまとめて葬った塚があったと思われますが、はっきりとした場所の特定はできていません。伝承地もあり、塚らしいものも個人の敷地に残ってはいます。しかし事実を明らかにする術はありません。まあ古の歴史に想像を巡らせるのも1つの楽しみかもしれません。
で供養と道標を兼ねて天保年間に建立された大乗妙典碑を訪ねて散策を終了。碑の位置が高校時代と違っているのに気付きました。区画整理などで移転させられていましたが、どうやら元の場所に戻されたようです。

コメント