今日は学校行事の合間を縫って、尾張戸部城主であった戸部新左衛門の墓を訪ねました。昭和50年代まではきちんとした墓石と呼べるようなものはなかったのですが、共同墓地内に立派な五輪塔が建てられました。しかし目印は何もなく、供花も枯れて寂しい状態でした。
戸部新左衛門は今川に属していましたが、織田信長の策略にはまって織田に寝返ったと疑われ、吉田城に出向いたところを義元に殺害されたと言われます。暴君みたいな伝承もあったりして実在について若干疑問もあり、山口何某と同一人物視もされていて謎の武将です。関連史跡がある笠寺には一度出向いてみたいです。

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