帰省したついでに、2時間ほどかけてデジカメに収めていない豊川の城址をいくつか撮影してきました。まずは牧野氏の城址である瀬木城、牧野城、睦美(三ツ橋)城と贄氏の麻生田古屋敷址などなど・・・。
牧野城は毎年正月に訪れていますが、瀬木城と麻生田古屋敷は中学3年以来ですから20数年ぶりでしょうか。牧野城と比べて、瀬木城は当時とさほど変貌していなかったので安心しました。雨季は堀に水がたまっているし草が生い茂っていて大変ですので、この時期に訪れるのがベストでしょう。幸い土塁や堀もしっかり見ることが出来ました。
後者の2城は遺構らしい遺構も見当たらず、石碑や案内板もありません。睦美城址は堀が残る屋敷の持ち主の方に偶然話を聞くことができました。屋敷の建て替え等で堀もだいぶ埋まってしまったようです。地域は城山の呼称が残っていて言い伝えもあるようでした。城主である牧野助五郎は一鍬田(新城市)の領主でもあり、他家から養子に入った人物のようです。
ついでに牧野氏関係でいえば、睦美城の北方に位置する讃岐屋敷跡は現在公園化していますが、20数年前は無住で老朽化し周囲は草木が生い茂っていました。昼間でも薄暗く、一種異様な雰囲気が漂っていました。
贄氏については、丸根砦の活躍で勇名をはせた贄氏信の墓碑が市内新豊町に建てられていますが、いまひとつ実体がはっきりしないで残念です。大楠で有名な玉林寺付近が屋敷址と思われます。古墓の残欠とおぼしきものが見られるので、ひょっとしたらこの中に墓石もあったのではないかと考えてしまいます。
(続く)

コメント

nophoto
kourei
2006年11月11日17:42

麻生田古屋敷…久し振りに聞きましたね。
実は私が今住んでいるところの大家さんが、その子孫であるそうで、近隣に住んでいます。
そこのおじいさんに生前、先祖のことを調べてほしい…と頼まれたことがありましたが、一般的に分かっていること以上のことは結局わかりませんでした。

倉次郎
倉次郎
2006年11月12日1:46

こんばんは!昔のブログを見ていただき、ありがとうございました。
子孫の方とお会いされたことがあるのですか?私も中学時代に同級生が子孫だということで話を聞いたことがあります。
贄氏については、丸根砦の活躍や本野原での戦死などの情報以外に明確な手がかりがなく、豊川市西豊町にある贄掃部氏信の碑を見たり、玉林寺の大楠を見上げながら想像を巡らせるしかありませんでした(笑)。
後年牧野康成に従い上田城攻めを行って軍令違反問題の渦中にあった旗奉行の贄掃部はおそらく子孫なのでしょうけれど・・・。