北遠の地へ

2005年3月20日 城跡散策
今日は所用があり佐久間方面へ出向きました。ついでに山城を散策してきました。佐久間町・水窪町といえば奥山氏関連の城址がいくつか見られます。民俗芸能などの調査で学生時代から何度か訪ねていましたが、城址となると20年ぶりくらいになります。水窪の高根城址は平成の調査を経てすっかり整備され、城址関係の本でも必ず取り上げられるまでになっていますが、以前のことを考えれば驚きです。

佐久間町の郷土遺産保存館は古代の歴史や民俗関係の展示が中心ですが、水巻城址散策のついでに訪問しました。佐久間町中部平沢。このあたりは蛇行した天竜川に向かって舌状に突き出した台地上に位置します。城址は宥泉寺あたりとも言われていますが、居館があったにしても有事の際には背後の松山あたりに城があったのではないかと思われます。遺構が見つかっていないのではっきりわかりません。
保存館は10年ぶりくらいです。午前9時30分過ぎでしたが、既に開館〔午前9時〜午後4時〕していました。保存館の前には水巻城の説明板が建っています。

続いてJR飯田線城西駅の東方に位置する大洞山の一角にある若子城址へ。水窪川と大洞沢に囲まれた要害の地です。駅付近でお年寄りから声を掛けられ「まだ学生さんじゃろ?あそこには入らぬ方がよい。何人か山に入って亡くなっている。」と言われました。城址までのルートははさほど険しい場所はありません。おそらく城址のことではなかったのでしょうが、ただ大洞山は女人禁制とか・・・。地元の方の助言ですから、どうしようか迷いましたが、幸いその後で地元の方の案内もあって、橋を渡って城址のある対岸へ。さくまの昔話関連の説明板が民家前にありますので、目印となります。右方向に進み、山道に入り沢伝いにしばらく歩き、小橋を渡ると数々の巨石が出迎えてくれます。そこを抜け登山道に入って数分で到着します。北側が主郭と思われる削平地があり、お社に奥山加賀守をはじめ城主の慰霊碑が祀られています。南側には堀切が存在します。城址の規模は小さめです。北方の芋掘集落のすぐ先は高根城です。末期には高根城同様に武田勢が詰めていたのでしょうか。
城主・奥山加賀守定吉は水巻城主であった兄の美濃守定茂に攻められたという言い伝えがあります。このような山間の地にも乱世の哀史が刻まれていたのですね。

〔その他の本日の攻城〕
 裏鹿城、高根城、犬居城、笹峰城

〔参考文献〕
佐久間町史
静岡県の中世城館跡(1981)静岡県文化財保存協会
秘められた遠州の史話と伝承・上(s63)神谷昌志著

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