立ち寄り湯「本宮の湯」(宝飯郡一宮町大字上長山)に家族で出かけたついでに、樹齢400年の枝垂れ桜で有名な宝円寺周辺を30分ほど散策しました。本宮の湯や本宮山登山の拠点ウォーキングセンターはちょくちょく寄るのですが、散策は久々でした。
本宮山から一宮町長山あたりで豊川に注ぐ宝川の周辺は自然に富んだ地域です。蛍など昆虫の宝庫ともいえるでしょうか。
さて長篠設楽原戦いのあった天正3年(1575)5月21日の前日の夜半、織田徳川連合軍の後方を撹乱しようと作手方面から出張った甲州軍急襲部隊に対して、その作戦情報をキャッチした牛久保城の守将、福田三河守・丸毛兵庫頭ら留守部隊が宝川西方で迎え撃ったといわれます。
ここで地元に興味深い伝承があります。武田方の足山田城(宝飯郡一宮町足山田字東城下、城主秋山新九郎)は先年の徳川方との戦闘で落城し、家臣・秋山六郎が長山村方面に逃れていましたが、設楽原に向かう織田徳川連合軍に戦闘を挑んで壮烈な戦死を遂げたといいます。
連合軍に単独で向かうというのは甚だ疑問です。甲州軍の急襲部隊の話も確証があるわけではないのですが、秋山氏の伝承は甲州軍急襲の話と混同されているかもしれません。しかし長篠設楽原の戦い前夜の話として興味が尽きません。
18世紀になり、村人によって秋山六郎の墓碑などが建てられました。いまも六郎辻など秋山六郎にちなんだ地名が残されています。
宝円寺に向かう途中の辻の一角、足山田城(城山)を西方に望む場所に、墓碑と並んで教育委員会によって平成8年に建てられた説明板があります。
☆本宮の湯 URL http://www.honguu-no-yu.com/
本宮山から一宮町長山あたりで豊川に注ぐ宝川の周辺は自然に富んだ地域です。蛍など昆虫の宝庫ともいえるでしょうか。
さて長篠設楽原戦いのあった天正3年(1575)5月21日の前日の夜半、織田徳川連合軍の後方を撹乱しようと作手方面から出張った甲州軍急襲部隊に対して、その作戦情報をキャッチした牛久保城の守将、福田三河守・丸毛兵庫頭ら留守部隊が宝川西方で迎え撃ったといわれます。
ここで地元に興味深い伝承があります。武田方の足山田城(宝飯郡一宮町足山田字東城下、城主秋山新九郎)は先年の徳川方との戦闘で落城し、家臣・秋山六郎が長山村方面に逃れていましたが、設楽原に向かう織田徳川連合軍に戦闘を挑んで壮烈な戦死を遂げたといいます。
連合軍に単独で向かうというのは甚だ疑問です。甲州軍の急襲部隊の話も確証があるわけではないのですが、秋山氏の伝承は甲州軍急襲の話と混同されているかもしれません。しかし長篠設楽原の戦い前夜の話として興味が尽きません。
18世紀になり、村人によって秋山六郎の墓碑などが建てられました。いまも六郎辻など秋山六郎にちなんだ地名が残されています。
宝円寺に向かう途中の辻の一角、足山田城(城山)を西方に望む場所に、墓碑と並んで教育委員会によって平成8年に建てられた説明板があります。
☆本宮の湯 URL http://www.honguu-no-yu.com/
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