袋井市浅羽に所用があり、正午過ぎに到着。台風一過の好天に恵まれ、うだるような暑さとなりました。用事を済ませて、近隣の横須賀城などとともに家康の高天神城奪回の拠点として利用されたといわれる「岡崎の城山」に立寄りました。浅羽の馬伏塚城と掛川の横須賀城の中間(馬伏塚城より)にありますので、高天神城などとセットでまわるのがベストでしょう。
城山はもともと今川方の四ノ宮氏の居城であったといわれています。
緑色が目立つJA笠原の茶園関係の倉庫北東にある森のほぼ中央に北八雲神社の参道登り口があるので、そこから石段を登りつめた左手が主郭にいたる土橋部分です。草が繁茂していますので見落としそうです。
城跡は、空堀によって東西に分断された主郭(約80m四方)と二の曲輪(社殿部分も含めた場所)が茶畑化した箇所があるものの、比較的良好な状態で保存されています。枡形虎口部分の土橋の広さ、主郭の大土塁と北側の横堀に感動しました。
城山はもともと今川方の四ノ宮氏の居城であったといわれています。
緑色が目立つJA笠原の茶園関係の倉庫北東にある森のほぼ中央に北八雲神社の参道登り口があるので、そこから石段を登りつめた左手が主郭にいたる土橋部分です。草が繁茂していますので見落としそうです。
城跡は、空堀によって東西に分断された主郭(約80m四方)と二の曲輪(社殿部分も含めた場所)が茶畑化した箇所があるものの、比較的良好な状態で保存されています。枡形虎口部分の土橋の広さ、主郭の大土塁と北側の横堀に感動しました。
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