冨賀寺を訪ねて

2006年7月9日 旅行
冨賀寺を訪ねて
時折激しく雨が降るあいにくの天気でしたが、息子とドライブに出かけました。ほとんど目的のないドライブでしたが、新城に向かうというのが息子の希望でした。
真言宗奥貴山冨賀寺(新城市中宇利)に立ち寄りました。行基が小寺を建てたことに始まると伝わりますが、足利尊氏のいとこである真応上人が住職となり、室町幕府に庇護されました。祈願所として十八坊舎を造営。16世紀には今川氏により寺領安堵されました。
享禄3年(1530)11月の宇利城攻めの際には、三河平定をもくろむ松平清康が今川方の城主熊谷備中守實長を討つべく、3000の兵を率いて城南部の八幡の森から当寺裏山の四十九院に戦地本陣を移し、戦闘態勢に入りました。この戦いでは福釜城主松平右京亮親盛が討ち死にする手痛い被害を受けましたが、清康は東三河を手に入れることに成功しました。
江戸時代に入り、当寺は徳川将軍家の庇護を受けています。
赤門と称される参道右手の薬医門、客殿、池泉式庭園、参道正面の本堂、右奥の護摩堂などなかなか趣があります。庚申堂裏手には宇利近藤家の墓地があります。最近参道西側の遊歩道が整備されたので、紅葉のころが楽しみですね。

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