設楽原散策?下々から才ノ神へ
2006年10月10日 城跡散策 コメント (4)
訣盃の地をあとにして、国道151号線を大海方面に戻ります。豊鉄バス清井田停留所(下り)の手前からJR飯田線を横切り(清井田踏切)を北上。諏訪神社手前から長筋地区(下々)を抜け五反田川を渡ります(四反田橋)。そこから氾濫河川の五反田川と宮下川に挟まれたこの場所に、天正年間ころ塩瀬一族が下々村古屋敷に依拠していたといわれます。遺構が見られないのが残念です。
次の目的地は武田勝頼観戦地です。東郷東小学校の南東側から少し信玄塚寄りに進み、土屋昌次碑にお参りした後、才ノ神地区と小学校西側の間道を抜けて須長方面に抜けます。観戦地碑辺りに出るには手前のルートがありますが、この時期いまだブッシュがひどく、仕方なく北側の傳五味與惣兵衛貞氏の墓(大正3年建立)がある南側の斜面がブッシュが少なく距離も近いので、そこを直登しました。ところで中山砦を攻撃していた菅沼定盈配下の塩瀬氏(甚左衛門)が倉賀野主従を討ち取ったと言われています。塩瀬久兵衛が、武田浪人組の一員であった五味の首をここにわざわざ運んで葬ったのはなぜでしょうか。
そういえば、設楽原をまもる会の初代会長さまから、「でんごみじゃない。でん・ごみだぞん」と中学生だった私たちに丁寧にいわれを教えてくださったのが鮮明に思い出されます。何度も押しかけては歴史を教わり、たいへんお世話になりました。
さて、武田勝頼観戦地の碑(昭和50年建立)は祠とともに並んで建っています。碑が向く西側は山林が密生していて連吾川方面の見通しは利きません。五味氏の墓付近に見通しの良い場所があり、ちょうど秋祭りのお囃子の音が聞こえてきました。音のする西北方向に目を移すと、お囃子の一団が石倉神社手前辺りに見えました。700mほどの距離なのに見通しが良く、指呼の距離に感じました。清井田から陣を移した勝頼の目には、連吾川を挟んだ織田徳川連合軍がどのように映っていたのでしょうか・・・。
観戦地南側からの通常のルートで天王方面に行けるか試してみようと辿りました。いろはかるた「赤禿に勝頼本陣進めたり」まではまったく問題なし。さらに辿っていくと貯水槽のある先あたりでブッシュのため道が見えない状態になっていました。このあたりは先日の雨もあってかジメジメした状態。別のルートを探していたところ、足元にガサガサ音を立てるものがあり、驚いて横っ飛び。見下ろすと、鎌首をもたげかかったマムシでした。もう少しで踏みつけるところでした。危うかったです(汗)。
つづく
次の目的地は武田勝頼観戦地です。東郷東小学校の南東側から少し信玄塚寄りに進み、土屋昌次碑にお参りした後、才ノ神地区と小学校西側の間道を抜けて須長方面に抜けます。観戦地碑辺りに出るには手前のルートがありますが、この時期いまだブッシュがひどく、仕方なく北側の傳五味與惣兵衛貞氏の墓(大正3年建立)がある南側の斜面がブッシュが少なく距離も近いので、そこを直登しました。ところで中山砦を攻撃していた菅沼定盈配下の塩瀬氏(甚左衛門)が倉賀野主従を討ち取ったと言われています。塩瀬久兵衛が、武田浪人組の一員であった五味の首をここにわざわざ運んで葬ったのはなぜでしょうか。
そういえば、設楽原をまもる会の初代会長さまから、「でんごみじゃない。でん・ごみだぞん」と中学生だった私たちに丁寧にいわれを教えてくださったのが鮮明に思い出されます。何度も押しかけては歴史を教わり、たいへんお世話になりました。
さて、武田勝頼観戦地の碑(昭和50年建立)は祠とともに並んで建っています。碑が向く西側は山林が密生していて連吾川方面の見通しは利きません。五味氏の墓付近に見通しの良い場所があり、ちょうど秋祭りのお囃子の音が聞こえてきました。音のする西北方向に目を移すと、お囃子の一団が石倉神社手前辺りに見えました。700mほどの距離なのに見通しが良く、指呼の距離に感じました。清井田から陣を移した勝頼の目には、連吾川を挟んだ織田徳川連合軍がどのように映っていたのでしょうか・・・。
観戦地南側からの通常のルートで天王方面に行けるか試してみようと辿りました。いろはかるた「赤禿に勝頼本陣進めたり」まではまったく問題なし。さらに辿っていくと貯水槽のある先あたりでブッシュのため道が見えない状態になっていました。このあたりは先日の雨もあってかジメジメした状態。別のルートを探していたところ、足元にガサガサ音を立てるものがあり、驚いて横っ飛び。見下ろすと、鎌首をもたげかかったマムシでした。もう少しで踏みつけるところでした。危うかったです(汗)。
つづく
コメント
かつては道路沿いに観戦地への看板があったようなのですが
看板の木の部分(立てる足の部分)が朽ちて転がっておりました。
五味さんの墓って山の上の方ですよね。
訪れた時も なぜわざわざこんな上にあるんだろうって話していました。
それにしてもまむしは怖いですねー。
メール有難うございました。
くらじろうさんのマネをしてここと同じ日記を始めました。
もともと文章を書くのが苦手なので練習にもなるかな、なんて思っています。
いつまで続くか分かりませんが、とりあえずお知らせいたします。
こんばんは!観戦地への道筋は多少わかりにくいかもしれませんね、特に夏場は。
五味氏の墓・・・確かにあそこだけ異様な空間のような気がします。サバ土の採取が長年続いていますので、あそこだけ取り残されたようになっていますね。中山砦方面で戦死せず、本隊に合流してからこの地で戦死したのでしょうか。わかりません。
もしかしたら土取りのため当初の墓所から移転しているかもしれませんね。昔はもっと墓までの道のりが楽だったかも。
マムシも踏んだり接触しなければ大丈夫だと思うんですが、やはり遭いたくないです。
こんばんは〜!突然あちらのブログを終了してすいませんでした。お詫びいたします。
>くらじろうさんのマネをしてここと同じ日記を始めました。もともと文章を書くのが苦手なので練習にもなるかな、なんて思っています。
ここは画像の紹介ができないことなど、ちょっと使い勝手が???と感じています。陽路々さんの素敵なブログやHPがうらやましいです♪
今後ともよろしくお願いします。