新城市川路にて(山本勘蔵信供墓)
新城に出向く用事があり、JR三河東郷駅前で一服しました。私が中学2年だった当時、設楽原を友人と訪ね歩いた際にお年寄りが昔は「かわじの駅」と言っていたのだと話してくれたのをふと思い出しました。新駅舎もまもなく完成なのかな。駅前のお店で買ったぽたぽた餅が、昼抜きで講義していた私の空腹を満たしてくれました。
既に午後4時を回っていましたが、30分ほどの空き時間があったので、駅前を南下して勝楽寺の脇を抜けて、2年ぶりに山本勘蔵信供の墓(新城市川路)をお参りしました。傍らに密やかに咲く椿が印象的でした。長閑な田園風景の中でしばし合掌。
山本勘蔵信供は、甲州武田の山本勘助嫡男と伝わる人物で、設楽原合戦の際に徳川方の渡辺半蔵守綱に首を討たれた(享年20歳)という話も伝わっています。戦死地といわれる大海地区には碑が建てられています。
昔は山本勘介信供之墓と刻まれた墓碑があったのですが・・・。

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