息子と名古屋に出かけたついでに、最寄り駅(名鉄犬山線中小田井駅)のパスタ屋で遅めのランチをしました。空いててよかった!混んでいたら、即強制終了になりますので・・・。大食らいの息子も満足。
駅に向かう道沿いに「岩倉」とか「小牧」、「善光寺」などと書かれた古い道標があり、なにやら案内板もあるので、もしや!と思ったら、やはりここは旧街道、岩倉街道でした。
庄内川右岸に接する中小田井は、寛文7年(1667)に名古屋城下から岩倉方面に至る岩倉街道が通じました。当時、岩倉あたりから枇杷島の青果市場へ野菜などを運ぶ道として賑わい、町屋や土蔵が建ち並ぶ町並みがつくられました。
新しい建築物にまじって、昔の面影を残す建物が何軒か見られました。明治24年の濃尾地震以降のものが中心でしたが、そこだけ異空間が広がっていて、楽しめました。
中小田井の散歩は数分間で終わりました。妻子から撤退命令が出たため、寺社に立寄ることはあきらめました(笑)。
駅に向かう道沿いに「岩倉」とか「小牧」、「善光寺」などと書かれた古い道標があり、なにやら案内板もあるので、もしや!と思ったら、やはりここは旧街道、岩倉街道でした。
庄内川右岸に接する中小田井は、寛文7年(1667)に名古屋城下から岩倉方面に至る岩倉街道が通じました。当時、岩倉あたりから枇杷島の青果市場へ野菜などを運ぶ道として賑わい、町屋や土蔵が建ち並ぶ町並みがつくられました。
新しい建築物にまじって、昔の面影を残す建物が何軒か見られました。明治24年の濃尾地震以降のものが中心でしたが、そこだけ異空間が広がっていて、楽しめました。
中小田井の散歩は数分間で終わりました。妻子から撤退命令が出たため、寺社に立寄ることはあきらめました(笑)。
コメント
狭い範囲内ですが往時の風情はあるところですね。
無理のない程度に息子さんとあちこち出向いてくださいね。
私が子どもの頃、小学校の先生から「そんな社会勉強ばっかりやってても将来のためにならない」と言われたことがありました。
確かに役に立ってないかもしれませんが、その頃の見てまわった経験が、今の私の少なからずの影響を与えて、いい結果だったと思っています。
それと亡き父との各地を歩いた思い出、父を尊敬した一面でもありました。
ありがとうございます。息子の気が向いた時にだけ連れて行くことにしています。しかもご褒美つきですが・・・。
息子が生まれた時に、大きくなったら全国の城址を一緒に回ろうと密かに考えていたんですが、まあそれは無理にしても、2人だけで泊りがけの旅行に行きたいと夢見ています。
妻は将来的にも絶対に無理だ、無謀だと言っていますが、あきらめ切れません(笑)。
私も小学校生のころから親に連れられて史跡巡りをするようになり、古墳、貝塚、旧街道、城址、民俗芸能と自然に歴史好きになっていきました。今の仕事にはまったく役立っていませんが、フィールドワークの楽しさを覚えました。
Koureiさんも、ずいぶんいろいろとお父様とまわったんでしょうね。