永禄6年(1563)、三河一向一揆の際、家康に反旗を翻した上野上村城(豊田市上郷町藪間)の酒井忠尚に対して、家康は隣松寺に本陣をおいて攻略しました。
イチョウの葉で埋まった広大な境内をのんびり歩いてみました。
家康が戦勝祈願したという稲荷社が祀られていました。山号の稲荷山もここに由来しているのでしょうか。続いて上野城址を経て、戸田宗光、憲光らの墓を参拝したところで日暮れとなりました。
地図なしの思いつきの散策でしたので、近くの浄願寺につい迷い込んでしまいました。しかし発見もありました。境内南側の墓地で毛受家の墓石を偶然見かけました。賎ケ岳合戦で柴田勝家の身代わりとなって戦死した毛受勝助家照の子孫のものでした。謂れの書かれた墓碑も建てられていました。しばし合掌。
イチョウの葉で埋まった広大な境内をのんびり歩いてみました。
家康が戦勝祈願したという稲荷社が祀られていました。山号の稲荷山もここに由来しているのでしょうか。続いて上野城址を経て、戸田宗光、憲光らの墓を参拝したところで日暮れとなりました。
地図なしの思いつきの散策でしたので、近くの浄願寺につい迷い込んでしまいました。しかし発見もありました。境内南側の墓地で毛受家の墓石を偶然見かけました。賎ケ岳合戦で柴田勝家の身代わりとなって戦死した毛受勝助家照の子孫のものでした。謂れの書かれた墓碑も建てられていました。しばし合掌。
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