御所山誓願寺(豊田市上郷町御所名残)
2006年12月7日 人物 コメント (2)
(12月4日の散策の続きです。)
御所山誓願寺は、14世紀に創建された禅宗のお寺ですが、天文14年(1545)浄土宗に改められました。上野(上村)城主であった戸田弾正左衛門宗光の念持仏である観音さまが寄進されています。
寺の墓地にある納骨塔の西側に戸田宗光、宗光の父・実興、宗光の嫡子・憲光、氏一などの墓石が集められています。区画整理などにより墓所は転々としました。新しい墓所を示す碑があるので、それと確認できましたが、片隅に追いやられているようで、少し気の毒な気がしました。寺を訪ねた時間は午後5時近くであったので、お寺に尋ねる時間もありませんでした。どの墓石が誰のものなのか確認できませんでした。それともわかっていないのでしょうか。
上野城主戸田宗光は、その後文明7年(1475)大津に進出し(豊橋市老津町の高縄城)、さらに数年後には田原に築城して勢力を拡大しました。
御所山誓願寺は、14世紀に創建された禅宗のお寺ですが、天文14年(1545)浄土宗に改められました。上野(上村)城主であった戸田弾正左衛門宗光の念持仏である観音さまが寄進されています。
寺の墓地にある納骨塔の西側に戸田宗光、宗光の父・実興、宗光の嫡子・憲光、氏一などの墓石が集められています。区画整理などにより墓所は転々としました。新しい墓所を示す碑があるので、それと確認できましたが、片隅に追いやられているようで、少し気の毒な気がしました。寺を訪ねた時間は午後5時近くであったので、お寺に尋ねる時間もありませんでした。どの墓石が誰のものなのか確認できませんでした。それともわかっていないのでしょうか。
上野城主戸田宗光は、その後文明7年(1475)大津に進出し(豊橋市老津町の高縄城)、さらに数年後には田原に築城して勢力を拡大しました。
コメント
今は企業城下町となってしまって風情を探すのは難しいですが、たくさんの歴史は秘められているようですね。
一歩奥に入れば、まだわずかながら昔の風情が残っています。雑踏が苦手な私としてはほっとします。