金蓮寺弥陀堂と阿弥陀さま
レンタルした「赤馬Go!」を暴走させながら、吉良町饗庭方面に向かいました。まず三河七御堂の一、国宝金蓮寺弥陀堂(鎌倉期と推定)をまず拝観し、その後、白山公園方面及び饗庭城跡、小山田地蔵さんへと疾駆してまいりました。

曹洞宗金蓮寺は饗庭のお不動さんで親しまれています。境内にあるお不動さんの名水は、寺の東方に位置していた饗庭城の茶の湯にも使われたという言い伝えがあります。この名水を飲むと金運に恵まれるらしいです。
5〜6年ぶりに訪ねましたが、弥陀堂に阿弥陀如来さま(県指定)、左側の勢至菩薩さま、右側の観音菩薩さまが変わりなくおわしました。ホっとしました。参観者は私以外に1人だけ。サンダルに履き替えて縁に上がり、合掌すると、ん?以前阿弥陀さまはもっと黒々としたお顔だったはずなんですが・・・。
それにしても国宝建造物でありながら、気楽に立寄れるこの開放感・・。訪ねる人にとってはありがたいことですが、保存管理していく方はさぞかしご苦労があることでしょうね。

戦後しばらくして、お堂は解体修理され、檜皮葺き、一重寄棟造の現在の形に戻りましたが、古写真の修理前の形状を見ると余りの違いに唖然としてしまいます。
鎌倉中期に造られたといわれる仏さま方は、手や台座の蓮弁など痛みが激しく、延宝8年(1680)に修復を施されて以来、修理がなされていません。檀家が1軒しかないため、修理費用もままならないようです。費用の見積もりは約1200万円とか。県や町からの補助金を得ても500万円ほど不足してしまうようです。そこで地元の住民の方たちが中心になって、募金活動を始められました。ぜひ貴重な仏さまたちを無事後世に伝えていってほしいです。
ただ必要以上に手を加えてしまい、お堂にそぐわないような仏さまにならないよう願っています。
 

コメント

nophoto
kourei
2006年12月13日22:20

春には菜の花できれいなお寺ですね。
確かここだったか、お堂の向かって左手のほうに芋穴か防空壕のようなものがあったような記憶があります。

倉次郎
倉次郎
2006年12月13日23:07

春には訪れたことがありませんでした。来春は訪ねてみようかな・・・。情報ありがとうございます!
穴ですか。蛇穴のことでしょうか。ここも太平洋戦時には利用したのでしょうか。日照りの時には雨乞いのお祈りをしたようですから、そういった利用はしなかったかもしれません。今度誰かに聞いてまいります。

nophoto
kourei
2006年12月16日1:24

蛇穴だったんですね!
何か木を伐採したようなところに穴が開いていたので覗いてみたことはありました。
饗庭の地名も、何か深い意味がありそうですね。

倉次郎
倉次郎
2006年12月17日23:06

蛇穴の伝説はどこにもあって、面白いです。
饗庭の地名はやはり伊勢神宮御厨に関係があるのでしょうか。供御、供斎物を貢進する土地ですので、饗・・・供応、饗応と結びつくような気がします。神を供応という意味につながらないでしょうか。田の神様をもてなす奥能登の「あえのこと」を頭に浮かべながら考えてみました。かなり強引な発想ですが。
大庭御厨の大庭氏や揖斐郡の相場(相場城の饗庭氏)なんかはどうなのでしょうか。勉強不足ですので、これから調べてみます。