饗庭城跡(幡豆郡吉良町饗庭字城山)
円通院の縁起では、永徳3年(1383)加賀国石川郡の石川妙鶴丸は高義親王の子孫であり、後小松院の勅宣により饗庭七郷を賜り、饗庭妙鶴丸と名乗り、居城としたのが、現在の城山であるといわれています。
足利尊氏の家臣山内首藤時通が饗庭御厨の代官となり、その子が妙鶴丸(命鶴丸)であったともいわれます。妙鶴丸が加賀の白山大権現を祭ったのが北方にある白山神社です。妙鶴丸(初代の子孫でしょうか・・・)が、寛正5年(1464)後期饗庭七郷を開発しましたが、文明7年(1475)当時西三河に進出を図っていた松平信光を金蓮寺において呪詛したことが発覚し、自害したと伝わります。松平氏の手に落ちた饗庭城は、松平氏配下の松井氏が支配することになりました。

私が訪れた時には城址碑は既になくなっていました。城山は金蓮寺の前の道を東に向かって小山田地蔵さまに抜ける道の途中、白山トンネル南信号を越えた100メートルほどの場所に位置します。田畑のある字城下に南面した丘陵地であり、西南方向に舌状に突き出ています。畑地や竹林の中にありました。そこには遺構らしきものは見当たりません。
自転車で城跡東側の車道を登っていくのはかなりきついですね。
城山先端部だけでなく、白山公園あたりまで含めた背後の山々全体が城砦化していたように思われるのですが、調査はそこまで入っているのかな・・・。
それにしても周辺は不法投棄が多すぎます。非常に残念です。
【画像は、東方から饗庭城跡を望んだものです】

コメント