いのちの橋(9/24)

2006年9月24日
いのちの橋(9/24)
明治時代までは、新城市恩原方面から海老に至るには、寒狭川を渡らねばならず、通称百飛び(川原石の飛び石)を命からがら越えて湯島に入り、四十四曲りを通過するルートが最短でした。
明治末期に架けられた鉄線吊り橋も腐朽し、念願の鉄筋コンクリート橋「島原橋」(湯島と恩原をつなぐ橋)が昭和14年に完成しました。(日向方面から島原橋を望む)


湯島側から対岸(日向方面)に向かって赤頭巾と前掛けをつけた地蔵尊がお立ちになっています。吊り橋完成前に急流で亡くなった方の供養のために明治30年に建立されたました。工事の際に移転がありましたが、今も変わらずにR257を通る人たちの安全を見守ってくれています。
(別HPの過去日記から)

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