芝屋村古屋敷(豊橋市大村町地ノ神)
三河国二葉松などに武田家重臣の山縣三郎兵衛の居住と伝える芝屋村古屋敷の所在は遺構もなく確定できていませんが、大村町地ノ神付近であると考えられます。武田の東三河進出時期を考えれば、元亀・天正年間に、二連木・吉田城攻めに際して築かれたのでしょうか・・・。

現在の大村町は柴屋村・大磯村・沖木村・大蚊里村が合併したものです。柴屋の名称は、牧野氏などとも交流があった連歌師柴屋軒宗長の居住に由来しているといいます。
目標がないので、大村小学校敷地に接して鎮座している柴屋神社境内を撮影しました。この豊川右岸にあたる大村地区にも霞堤が築かれており、地ノ神は乗越堤のすぐ南側に位置しているので、豊川の洪水により城館遺構が破壊されたとしても不思議ではありません。
豊橋百科事典でも、県道豊橋豊川線の反対側に「字高之城」(大村町桜島信号の西側)という地域があることを指摘しているように、こちらも芝村古屋敷に関連した地名の名残なのか、大村古屋敷と呼ばれる別の城館に由来するものなのか気になるところです。

コメント

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kourei
2007年1月9日23:48

高之城といえば、大蚊里貝塚や五貫森貝塚などが隣接していますね。
自然堤防地というか、微高地であったので城跡も考えられますね。
私の城跡ノートにも関係地名として「高之城」はメモしてあります…。
しかし、詳しいことはわかりません。

nophoto
倉次郎
2007年1月10日13:09

情報ありがとうございます!
貝塚がありましたね。確か五貫森式土器って呼び方があったような記憶が…。

城跡ノートがあるんですか!?地域は三河以外もあるんですか?ぜひ一度拝見したいです。

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kourei
2007年1月10日21:37

ただのノートです(笑)
一度踏み入れた地は新たなページを設けて、築城者、築城廃城年、遺構、城主はどの支配下であるかとかをメモしているだけです。
数は数えたことはないですが、でもエライことになってます。
ただ、数踏むよりも誤解の無いよう謎を解きたい…とは思っています。

nophoto
倉次郎
2007年1月11日3:54

パソの調子が悪く、携帯レスもうまくいかず、すいません。レスがはねられてばかりいます。

倉次郎
倉次郎
2007年1月11日23:06

私もそろそろ整理していかねば、と思っています。
数も内容もkoureiさんには及びませんが、マイペースでこつこつと訪城してきたいと思います。これからもkoureiさんのHPを参考に勉強させていただきますので、よろしくお願いします。

nophoto
コハク
2007年1月11日23:23

こんばんは!

以前、長篠5砦へ行こう♪って話をしてたのですが、2月までは雪の心配があるため、3月24日もしくは3月31日の土曜日はご都合いかがですか?

もし、都合がつくようでしたらご一緒してください。
多分、私を含めて4〜5名で参加する予定です。

↑らしいです。(ちえぞーさんコメントのコピペ)

とりあえず、報告までm(_ _)m

nophoto
倉次郎
2007年1月12日3:02

コハクさん
わざわざありがとうございます!
ぜひご一緒させてください。転勤もしくは息子のトラブルがなければ、たぶん大丈夫だと思います。m(__)m
詳細はまたメール等ですね。以前のアドレスは使用しておりませんので改めて連絡いたします。