今日は200人規模の新年会がありました。勘助出生候補?地の方もいらっしゃって、いろいろお話をうかがうことができました。
それにしても皆さんの話題は、「勘助」「勘助」・・・。ずいぶんとにぎやかでした。以下東三河弁が入っております。
「長谷寺の摩利支天さんを見に行くまい。あんたもいっぺん見に行っておいでんやれ〜」と言われました。そして、「あんたらは若いもんで行ったことないかもしれんが、行ってみりん。あそこの寺は、はせでらじゃないぞん、ちょうこくじだぞん。」と丁寧に説明していただきました(笑)。
そして私が、それじゃあ牛久保城址も見ていきましょうか?と答えると、東三河南部の方から「(主郭は)石碑のあるあたりかん。何ものこっとらんし、あんなん、城じゃないわい。」と一蹴されてしまいました。地元としては悔しいなあ・・・。
それにしても皆さんの話題は、「勘助」「勘助」・・・。ずいぶんとにぎやかでした。以下東三河弁が入っております。
「長谷寺の摩利支天さんを見に行くまい。あんたもいっぺん見に行っておいでんやれ〜」と言われました。そして、「あんたらは若いもんで行ったことないかもしれんが、行ってみりん。あそこの寺は、はせでらじゃないぞん、ちょうこくじだぞん。」と丁寧に説明していただきました(笑)。
そして私が、それじゃあ牛久保城址も見ていきましょうか?と答えると、東三河南部の方から「(主郭は)石碑のあるあたりかん。何ものこっとらんし、あんなん、城じゃないわい。」と一蹴されてしまいました。地元としては悔しいなあ・・・。
コメント
司馬遼太郎氏が土方歳三の生地日野を訪れた際に、地元のご老人に、
(歳三は)「としぞう」なのか「さいぞう」なのか
と尋ねたところ、
(どっちか知らないが)ここいらでは「トシサン」と呼んでます
との返事が返ってきた、というエピソードを、なんとなく思い出しました。
鍛治村古屋敷ってのはどの辺りになるんだろ…。
こんばんは!ご来訪ありがとうございます♪
私もトシさんの方がしっくりきますね。サイゾウさんは、霧隠なら・・・(笑)。
読みは違いますが、こちらのお寺は大和の長谷寺由来です。
こんばんは!テストはもう済みましたか?いよいよ城巡り始動ですか?
鍛冶村古屋敷は、自信ないですね(すいません)。○○家具の裏手という話もありますが・・・。元一色村から鍛冶村が生まれたのですが、私にはどこまでが村域かわかりません。寺社もかなり移動があるようですし、目標物はなかなか定められませんね。
牛久保城下の古絵図を信じれば、真木善兵衛の屋敷は八幡様の西?にあたりますが、絵図は正円寺の位置も正確ではないようですし、絵図は方角も大雑把に書かれているようにも思われますので、そのまま現地にあてはめることは危険なような気がします。古絵図の善兵衛の屋敷が古屋敷とどのように関連しているかわかりませんが、城下の各屋敷位置が特定できれば、鍛冶村古屋敷もわかってくるかもしれませんね。
答えになっていませんが、すいません。