嶺秀院と牧野成定公
宝飯郡御津町にある浄土宗大恩寺はもと大運寺と称され、松平氏に所縁の深い寺でした。松平家に大恩のある寺ということで大恩寺と改められました。牛久保牧野氏の菩提寺でもあり、かつて存在した念仏堂(平成6年焼失)は天文22年(1553)に牧野出羽守保成らが造営したものでした。
県指定になっている山門は大垣藩2代藩主戸田采女正氏信が寛文12年(1672)に建立したものです。氏信の正室は、越後長岡藩初代藩主牧野忠成の娘(嶺秀院)。

戸田氏信は天和元年(1681)没、嫡子氏西は貞享元年(1684)没。牛久保の牧野成定公(嶺秀院の曾祖父)の墓所を建立したのが1684年ですから、夫と息子を立て続けに失った嶺秀院に何か思うところがあったのでしょうか。

牧野一族の墓所に並んで嶺秀院の墓石も建てられています。また
左一つおいて並んでいる牧野家墓所の立派な五輪塔は、俗名牧野民部丞康成、没年が永禄9年と記されていたように記憶しています。没年からすると成定公の墓石とも思われますが、若干の疑問も残ります。牧野氏の系譜は疑問点が多く、悩ましい・・・。再訪して確認してみたいと思います。

コメント

nophoto
kourei
2007年1月27日19:57

大恩寺も立派なお寺の一つですが、残念でしたね焼失して。
お堂を守るために万全の消防設備だったのに、皮肉です。
檜皮葺きにロケット花火では…防ぎようがありませんね。

牧野氏系譜…複数あってよくわかりませんね。
武士の発祥とはそんなものかもしれませんが…。

倉次郎
倉次郎
2007年1月28日1:55

念仏堂は何度も見学に行っていましたが、焼失後あの場所にもうお堂が存在しないことがしばらくは信じられませんでした。
もうしばらくしていたら国宝になっていたのではないかと思い、残念でなりません。

単純に後世に正確に伝わらなかった部分もあるでしょうが、勝者の前で不都合がある系譜は意図的に抹消されたんでしょうね。