延命山永住寺(新城市裏野3)
2007年1月27日 旅行
JR新城駅から徒歩10分ほどの距離にある永住寺は、田峯菅沼定忠の二男で足が不自由であった鵬雲文翼が創建した曹洞宗のお寺です。立派なマツが山門とともに迎えてくれます。山門左手には、新城の俳人・太田白雪の句碑と説明板が建てられています。
当初この寺は平井の地にありましたが、焼失後、天正2年奥平貞能が現在の地に移しました。大谷城で死去した兄定広の位牌もあるようです。貞能が寄進した梵鐘が伝えられています。
本堂左奥の墓地内には新城城主水野分長や白雪、戦前の探偵作家大阪圭吉などの墓があります。
お墓参りを終えてから、ふと右手の建物を見ると、彩色?兼備or兼美?な閻魔さまたち(十王だったかな?)がこちらをご覧になっていてとても驚きました。私の悪行?を審理をしてくださいました。(笑)
近くには、山門が長篠城の移築門だと伝わる桃牛寺もあります。
当初この寺は平井の地にありましたが、焼失後、天正2年奥平貞能が現在の地に移しました。大谷城で死去した兄定広の位牌もあるようです。貞能が寄進した梵鐘が伝えられています。
本堂左奥の墓地内には新城城主水野分長や白雪、戦前の探偵作家大阪圭吉などの墓があります。
お墓参りを終えてから、ふと右手の建物を見ると、彩色?兼備or兼美?な閻魔さまたち(十王だったかな?)がこちらをご覧になっていてとても驚きました。私の悪行?を審理をしてくださいました。(笑)
近くには、山門が長篠城の移築門だと伝わる桃牛寺もあります。
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