正祷山長存寺(蒲郡市上本町)
2007年2月16日 人物
上ノ郷城跡を訪れた際に鵜殿氏ゆかりの寺に立寄りました。3度目の再訪です。
当地の鵜殿氏は長将の時代に、宗家上ノ郷鵜殿(藤三郎を名乗る)と下ノ郷鵜殿(又三郎を名乗る)に分かれました。
上ノ郷の鵜殿長照と弟長忠は、永禄3年今川義元敗死後も今川に属して松平氏と対立し、永禄5年上ノ郷城落城に際し運命をともにしました。一方、松平氏に臣従した下ノ郷鵜殿氏は、初代の長存(天正12年2月17日没)、玄長、長龍、八郎三郎長信と続き、長信の時に家康の関東入りに従いました。
2代目の玄長の時に、父親の名をとり氏寺を長存寺と変えました。開山は文安2年(1445)。境内墓地には、鵜殿氏諸々之霊供養碑と並んで鵜殿長存の墓などがまつられています。
当地の鵜殿氏は長将の時代に、宗家上ノ郷鵜殿(藤三郎を名乗る)と下ノ郷鵜殿(又三郎を名乗る)に分かれました。
上ノ郷の鵜殿長照と弟長忠は、永禄3年今川義元敗死後も今川に属して松平氏と対立し、永禄5年上ノ郷城落城に際し運命をともにしました。一方、松平氏に臣従した下ノ郷鵜殿氏は、初代の長存(天正12年2月17日没)、玄長、長龍、八郎三郎長信と続き、長信の時に家康の関東入りに従いました。
2代目の玄長の時に、父親の名をとり氏寺を長存寺と変えました。開山は文安2年(1445)。境内墓地には、鵜殿氏諸々之霊供養碑と並んで鵜殿長存の墓などがまつられています。
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