上信電鉄上州福島駅から南方に向けてひたすら徒歩で小幡の城下を訪ねました。駅にレンタサイクルがありますが、午後5時までに帰還しなければならないので、今回は利用を断念しました。往路がちょっとした坂道が続くので切りかえのない自転車ではきついかもしれません。
小幡は近世小幡藩2万石の城下町で、水野氏、織田氏、松平氏などが在城しました。家康の関東入封に際し、天正18年(1590)奥平信昌が甘楽郡小幡領の宮崎(富岡市)に3万石で入封しました。
織田信雄が元和元年(1615)小幡に入封すると、雄川の右岸に平城を築くとともに、町並みを整備し、用水を開削するなどしました。雄川堰の清らかな流れや古い町並み、武家屋敷など静かな佇まいがホッとさせてくれます。映画のロケ地としても利用されているようですが、観光地然としていないのがいいですね♪
3代織田信昌の時に小幡陣屋を作り、福島から移転しました。建物は残っていませんが、一部土塁や堀が残り、陣屋跡裏に熊倉山、紅葉山の借景にした池泉回遊式庭園「楽山園」が復元整備されつつあります。平成9年から発掘調査が開始。平成12年庭園と陣屋跡が国名勝として指定され、平成14年度から10年計画で整備事業が始まり、復元にむけ工事が進んでいます。土塁、空堀、土塀が綺麗に復元され、築山には茶室が建てられ、池には水が引き入れられていました。今後の復元整備が楽しみではありますが、余り観光地化してほしくないですね。
小幡は近世小幡藩2万石の城下町で、水野氏、織田氏、松平氏などが在城しました。家康の関東入封に際し、天正18年(1590)奥平信昌が甘楽郡小幡領の宮崎(富岡市)に3万石で入封しました。
織田信雄が元和元年(1615)小幡に入封すると、雄川の右岸に平城を築くとともに、町並みを整備し、用水を開削するなどしました。雄川堰の清らかな流れや古い町並み、武家屋敷など静かな佇まいがホッとさせてくれます。映画のロケ地としても利用されているようですが、観光地然としていないのがいいですね♪
3代織田信昌の時に小幡陣屋を作り、福島から移転しました。建物は残っていませんが、一部土塁や堀が残り、陣屋跡裏に熊倉山、紅葉山の借景にした池泉回遊式庭園「楽山園」が復元整備されつつあります。平成9年から発掘調査が開始。平成12年庭園と陣屋跡が国名勝として指定され、平成14年度から10年計画で整備事業が始まり、復元にむけ工事が進んでいます。土塁、空堀、土塀が綺麗に復元され、築山には茶室が建てられ、池には水が引き入れられていました。今後の復元整備が楽しみではありますが、余り観光地化してほしくないですね。
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