(真ん中の画像は、堂の尾曲輪虎口西側の横堀及び外土塁)
妻子が2日間の予定で実家に出かけたため、久々に東海道線で近場の掛川方面に出かけました(残念ながら車は妻に持っていかれまして・・・)。城巡りなどでくれぐれも無駄遣い(基本的に史跡めぐりは無駄なことと思われています)をしないようにと言われましたが、我慢できませんでした(笑)。
ほんとは高天神城跡散策のついでに高天神社の例大祭(25日開催)を見学したかったのですが、仕事と妻の実家移動などの都合で雨の不安がありましたが、本日に予定変更しました。高天神までのバス利用は初めてなので、少々不安がありましたが、1時間に二本程度バスが出ているので満足です。土方バス停で下車(掛川駅前から片道運賃470円)。
南口駐車場〜大手口を経て東西の曲輪を散策しました。10年以上高天神には来ていなかったので、すっかり忘れかけていましたが、案内がしっかりしていて助かりました。高天神社では明日の大祭に向けて準備が進んでいました。搦め手方面の北口駐車場付近には露店の準備が始まっていました。明日の祭りは天気大丈夫かな?
事前の情報収集をしていなかったので知りませんでしたが、的場曲輪は発掘調査があったようですね。剥き出しのトレンチ周辺にビニールシートがかかっていました。
本日の目的の1つは、高天神社裏手の堀切をはさんだ馬場平から犬戻り去る戻りの険(甚五郎抜け道)を通って林ノ谷池方面に出ることでした。武田方の横田甚五郎が脱出したと言われる山道です。ベンチが設置されていたりしてまず迷うことはありませんが、足場が砂礫が崩れやすく、崖が急峻なため小さいお子さんではかなり危ないですね。途中ピンク色の躑躅の花を愛でながら林ノ谷池のほとりに出ました。このあたりは天正9年の家康の攻城の際に大久保兄弟が陣所としていた場所です。池のほとりには武田軍の岡部氏と家康軍の板倉氏の墓碑が並んで建てられており、最後の激戦の跡を残しています。1時間半ほどの散策を終えて、再び土方バス停に移動。バス停前にある千人塚(武田方の戦死者800人ほどを祀ったと伝わります)におまいりを始めると、急に雨が降り始めました。かなり雨脚が強くなったので、バス停近くでしばらく雨宿り。再びバスに乗り、掛川駅に戻りました。
妻子が2日間の予定で実家に出かけたため、久々に東海道線で近場の掛川方面に出かけました(残念ながら車は妻に持っていかれまして・・・)。城巡りなどでくれぐれも無駄遣い(基本的に史跡めぐりは無駄なことと思われています)をしないようにと言われましたが、我慢できませんでした(笑)。
ほんとは高天神城跡散策のついでに高天神社の例大祭(25日開催)を見学したかったのですが、仕事と妻の実家移動などの都合で雨の不安がありましたが、本日に予定変更しました。高天神までのバス利用は初めてなので、少々不安がありましたが、1時間に二本程度バスが出ているので満足です。土方バス停で下車(掛川駅前から片道運賃470円)。
南口駐車場〜大手口を経て東西の曲輪を散策しました。10年以上高天神には来ていなかったので、すっかり忘れかけていましたが、案内がしっかりしていて助かりました。高天神社では明日の大祭に向けて準備が進んでいました。搦め手方面の北口駐車場付近には露店の準備が始まっていました。明日の祭りは天気大丈夫かな?
事前の情報収集をしていなかったので知りませんでしたが、的場曲輪は発掘調査があったようですね。剥き出しのトレンチ周辺にビニールシートがかかっていました。
本日の目的の1つは、高天神社裏手の堀切をはさんだ馬場平から犬戻り去る戻りの険(甚五郎抜け道)を通って林ノ谷池方面に出ることでした。武田方の横田甚五郎が脱出したと言われる山道です。ベンチが設置されていたりしてまず迷うことはありませんが、足場が砂礫が崩れやすく、崖が急峻なため小さいお子さんではかなり危ないですね。途中ピンク色の躑躅の花を愛でながら林ノ谷池のほとりに出ました。このあたりは天正9年の家康の攻城の際に大久保兄弟が陣所としていた場所です。池のほとりには武田軍の岡部氏と家康軍の板倉氏の墓碑が並んで建てられており、最後の激戦の跡を残しています。1時間半ほどの散策を終えて、再び土方バス停に移動。バス停前にある千人塚(武田方の戦死者800人ほどを祀ったと伝わります)におまいりを始めると、急に雨が降り始めました。かなり雨脚が強くなったので、バス停近くでしばらく雨宿り。再びバスに乗り、掛川駅に戻りました。
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