旧江尻宿界隈
さわやかウォーキングの帰りに、JR東海道線清水駅で下車し、まず静岡市清水区にある江浄寺に立ち寄りました。紺屋町と伝馬町に挟まれた地域にあるこの寺の山門をくぐると、左手に岡崎信康公の苔むした遺髪塚(五輪塔)があり、お参りしてきました。

旧東海道53次18番目の宿場である江尻宿の町並みの中心は江浄寺の西方、銀座通にあったようですが、面影はほとんど残っていません。
江尻宿の西側に位置していた巴川に沿って歩き出すと、まもなくユニークな河童像がある稚児橋に差しかかりました。江尻小学校側に道を辿ると、小学校に隣接して魚町稲荷神社があります。永禄11年(1568)12月駿河に侵攻した武田信玄は翌年現在の江尻小学校の敷地内に江尻城(小芝城)を築きました。小学校あたりは本丸であったようです。城将であった山縣県昌景亡き後、穴山信君が城を大改築しました。その際にこの地に社殿を造営したと言われます(説明板あり)。その穴山氏も天正10年(1582)家康に降伏してしまうわけですが・・・。
小芝町には、今ひとつ私が気にかかっていた社があります。小芝八幡宮と呼ばれる社で、江尻宿の産土神として敬われてきました。この八幡様は遡ること嵯峨天皇御世、弘仁2年(811)の創建といわれ、信玄が江尻城を築くにあたり、廃れていた祠を城内に移して、鎮守の神として祀っていたものですが、慶長6年(1601)は廃城後現在地(城の三ノ丸にあたります)に移されました。城の遺構は残っていないので、地元の方から「天守閣も石垣もない城跡なのに、よく何回も来るね〜」と褒められ?ました(笑)。

なお、復元図入りの説明板(平成7年作成)が江尻小学校の敷地内に小芝城ノ碑とともに建っています。小学校の東端のフェンス前には「町名の由来二の丸町」という説明板があります。また小芝八幡宮の鳥居をくぐった左手にも復元図入りの説明板(昭和57年作成)があります。

コメント