原爆が広島・長崎に落とされてから62年が経とうとしています。時の流れとは反対に、あの悲惨な出来事を風化させてはいけないという思いが年々強くなってきています。
わたしが小学生だったころ、グレープ時代のさだまさしさんが長崎の人々の思いをコンサートの際に熱く語っていたことや、「フレディもしくは三教街」という歌の思い出がよみがえって来ます。その数年後、兄に教えられて聞いた歌「死んだ女の子」。当時は高石ともやさんが歌われていたバージョンしか聞いていなかったのですが、たいへんな衝撃を受けたことを覚えています。
この歌はトルコの詩人ナジム・ヒクメットが広島の原爆の劫火の中で焼かれた少女のメッセージを歌にしたもので、最近では元ちとせさんが歌って話題になりました。
この曲を聴いたことが、学生時代(四半世紀前)に広島・長崎を回ろうと思うきっかけになりました。訳者によって歌詞は多少異なりますが、木下航二さん作曲のバージョンもたいへん気に入っています。この曲を聴くたびに広島や長崎の資料館で見た遺品などが瞼に浮かんできて、涙が止まりません。
(昨年も8月に書いていたんですね、似たようなこと・・・)

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/shinda.html

コメント

Rin君
Rin君
2007年8月6日22:14

御無沙汰しています。

その日のその時刻にアナウンスを流すかどうかは、
自治会(とその首長)によって異なるようですが、
ボクが幼少時代を過ごした自治体では、
中学生くらいまではサイレンを流していました。

「そういうもの」がないとついつい黙祷を忘れてしまう、
そんな自分はつくづく戦争を知らない子どもたちだと自省します。
…今年も気付いたらその時刻が過ぎていました。

「そのときだけ」思い出せばいいというものでもないのでしょうが、
忘れっぽい自分のこと、せめてそのときだけは振り返らなければ。

晩年まで原爆症に苦しんださだ氏の叔母様が、
それでも「誰を憎むこともしない。ただ、繰り返さないで欲しい」
と語っていたその言葉。
現代に生きる我々は絶対に忘れてはいけないのでしょうね。

倉次郎
倉次郎
2007年8月7日21:57

こんばんは!こちらこそご無沙汰申し上げております。
ご丁寧なコメントありがとうございます!

そうですね、私も小さい頃黙祷を捧げていた記憶があります。最近はつい忙しさにかまけて忘れがちです。平和が当たり前の産物のように思われてしまい、多くの先人の犠牲に成り立ってきたこともついつい・・・。
戦争を知らない世代ではありますが、戦争で亡くなった方々やその家族の方々の姿を次世代にきちんと伝えていく義務がありますね。原爆もしかり、唯一の被爆国日本の一員として。
この時期、わが子には、広島・長崎の原爆、豊川海軍工廠の爆撃について話すようにしています。