時折激しく雨が降るあいにくの天気でしたが、息子とドライブに出かけました。ほとんど目的のないドライブでしたが、新城に向かうというのが息子の希望でした。
真言宗奥貴山冨賀寺(新城市中宇利)に立ち寄りました。行基が小寺を建てたことに始まると伝わりますが、足利尊氏のいとこである真応上人が住職となり、室町幕府に庇護されました。祈願所として十八坊舎を造営。16世紀には今川氏により寺領安堵されました。
享禄3年(1530)11月の宇利城攻めの際には、三河平定をもくろむ松平清康が今川方の城主熊谷備中守實長を討つべく、3000の兵を率いて城南部の八幡の森から当寺裏山の四十九院に戦地本陣を移し、戦闘態勢に入りました。この戦いでは福釜城主松平右京亮親盛が討ち死にする手痛い被害を受けましたが、清康は東三河を手に入れることに成功しました。
江戸時代に入り、当寺は徳川将軍家の庇護を受けています。
赤門と称される参道右手の薬医門、客殿、池泉式庭園、参道正面の本堂、右奥の護摩堂などなかなか趣があります。庚申堂裏手には宇利近藤家の墓地があります。最近参道西側の遊歩道が整備されたので、紅葉のころが楽しみですね。
真言宗奥貴山冨賀寺(新城市中宇利)に立ち寄りました。行基が小寺を建てたことに始まると伝わりますが、足利尊氏のいとこである真応上人が住職となり、室町幕府に庇護されました。祈願所として十八坊舎を造営。16世紀には今川氏により寺領安堵されました。
享禄3年(1530)11月の宇利城攻めの際には、三河平定をもくろむ松平清康が今川方の城主熊谷備中守實長を討つべく、3000の兵を率いて城南部の八幡の森から当寺裏山の四十九院に戦地本陣を移し、戦闘態勢に入りました。この戦いでは福釜城主松平右京亮親盛が討ち死にする手痛い被害を受けましたが、清康は東三河を手に入れることに成功しました。
江戸時代に入り、当寺は徳川将軍家の庇護を受けています。
赤門と称される参道右手の薬医門、客殿、池泉式庭園、参道正面の本堂、右奥の護摩堂などなかなか趣があります。庚申堂裏手には宇利近藤家の墓地があります。最近参道西側の遊歩道が整備されたので、紅葉のころが楽しみですね。
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今日は安城市歴史博物館に野寺本証寺と八剣神社に伝わる聖徳太子絵伝や絵馬等の展示を見学に出かけました。ついでに隣接した埋蔵文化財センターも見学。
高校に勤務していた17年前、すぐ近くに住んでしましたが、その後(平成3年)この博物館は建てられました。人口がその後3万人近く増えていますから(現在約17万人)、安城市もにぎやかになったものですね。私が住んでいるころにはJR安城駅前から程遠くない場所にあった更生病院も移転し、たいへん立派になりましたね・・・。指導スタッフ、検査機器も充実していますし、医師不足に悩む地域には羨ましい限りです。
さて博物館が建っているあたりは安祥城三の丸がありました。安祥城は和田遠江守親平が永享12年(1440)に築城したといわれ、松平信光が文明3年(1471)に攻略し、その子親忠、長親、信忠、清康と4代にわたって安城松平の本拠地となりました。大永4年(1524)に岡崎城に居城を移すと、城代として長家を置きました。その後この城は守山崩れなどもあって桜井松平家、織田氏、今川氏など戦国の争奪戦の舞台となりました。今川義元敗死後、織田・松平の同盟が成り、廃城となり天正元年(1573)破却されました。本丸址に安祥山大乗寺(了雲院)が、二の丸址に八幡社が建っています。本丸西側の切岸以外に櫓址、間道址、善恵坊碑、姫塚などが残りますが、昔日のおもかげはありません。
博物館脇に咲くあじさいを愛でながら30分ほどで引きあげました。
安城市歴史博物館
http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/
安城市埋蔵文化財センター http://www.city.anjo.aichi.jp/kakuka/bunkazai/maibun/
高校に勤務していた17年前、すぐ近くに住んでしましたが、その後(平成3年)この博物館は建てられました。人口がその後3万人近く増えていますから(現在約17万人)、安城市もにぎやかになったものですね。私が住んでいるころにはJR安城駅前から程遠くない場所にあった更生病院も移転し、たいへん立派になりましたね・・・。指導スタッフ、検査機器も充実していますし、医師不足に悩む地域には羨ましい限りです。
さて博物館が建っているあたりは安祥城三の丸がありました。安祥城は和田遠江守親平が永享12年(1440)に築城したといわれ、松平信光が文明3年(1471)に攻略し、その子親忠、長親、信忠、清康と4代にわたって安城松平の本拠地となりました。大永4年(1524)に岡崎城に居城を移すと、城代として長家を置きました。その後この城は守山崩れなどもあって桜井松平家、織田氏、今川氏など戦国の争奪戦の舞台となりました。今川義元敗死後、織田・松平の同盟が成り、廃城となり天正元年(1573)破却されました。本丸址に安祥山大乗寺(了雲院)が、二の丸址に八幡社が建っています。本丸西側の切岸以外に櫓址、間道址、善恵坊碑、姫塚などが残りますが、昔日のおもかげはありません。
博物館脇に咲くあじさいを愛でながら30分ほどで引きあげました。
安城市歴史博物館
http://www.katch.ne.jp/~anjomuse/
安城市埋蔵文化財センター http://www.city.anjo.aichi.jp/kakuka/bunkazai/maibun/
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設楽原古戦場と武田勝頼公本陣址
2006年5月27日 旅行
新城市に所要があり,家族で出かけました。ついでに設楽原周辺を散策してきました。息子は神社仏閣,路傍の石仏を見るとすぐに正座して合掌するくせがあります。どうやら気分も落ち着くらしい。閻魔さまにお参りした後,連吾川周辺を先頭をきって歩き始めました。今年こそはそんな息子と一緒に火おんどりにやって来たいと思っています。
夕方,武田勝頼公本陣址地にあるお寺に旧年の礼を兼ねて往訪しようと思っていましたが,息子の都合もあり断念しました。しかし息子と裏山にあたる陣城跡に登りました。この季節ともなると,草がうっそうと生い茂り,湿度も上昇。昆虫もたくさん出てきます。たまらず息子は早々に退散しました。
夕方,武田勝頼公本陣址地にあるお寺に旧年の礼を兼ねて往訪しようと思っていましたが,息子の都合もあり断念しました。しかし息子と裏山にあたる陣城跡に登りました。この季節ともなると,草がうっそうと生い茂り,湿度も上昇。昆虫もたくさん出てきます。たまらず息子は早々に退散しました。
ジュニアの希望で嵐の中を二人してとうえい温泉へ。まもなく雨が上がり晴れ間が見え始めました。大好きな露天風呂を楽しんだ後は恒例のラーメン&アイスで一服。
宮平城と先祖のかかわりを説明したところ、ジュニアは興味津々。城跡に行ってみたいとのうれしいひとことに、即決で城跡に連れて行きました。中学校が山頂に移転しなければ城跡の遺構はどの程度残っていたのだろうかとしばし考えをめぐらす。校舎北側の剥き出しの土の断面は造成工事の際にできたのものでしょうか。
諏訪南宮参拝、先祖の奥津城清掃を済ませ、やや時期が遅めでしたが、龍洞院の枝垂桜を、帰りがけには長篠城跡で桜を愛でました。今夏の長篠城跡の発掘調査は野牛郭周辺のようですね。線路にさえぎられて作業が大変そうですが楽しみにしています。
宮平城と先祖のかかわりを説明したところ、ジュニアは興味津々。城跡に行ってみたいとのうれしいひとことに、即決で城跡に連れて行きました。中学校が山頂に移転しなければ城跡の遺構はどの程度残っていたのだろうかとしばし考えをめぐらす。校舎北側の剥き出しの土の断面は造成工事の際にできたのものでしょうか。
諏訪南宮参拝、先祖の奥津城清掃を済ませ、やや時期が遅めでしたが、龍洞院の枝垂桜を、帰りがけには長篠城跡で桜を愛でました。今夏の長篠城跡の発掘調査は野牛郭周辺のようですね。線路にさえぎられて作業が大変そうですが楽しみにしています。
川越散策(3/13)
2006年3月13日 旅行
昼休みの一時間ほど川越の町並みを歩きました。シンボルの時の鐘は高さ16m。残したい日本の音風景百選に選ばれているらしいけど残りの九九は何でしょうか…。
喜多院と仙波東照宮は20年ぶり。ピンクの華やか梅に迎えられ拝観。ついでに五百羅漢さまの楽しいお顔を拝んできました。
今度来るときは家族で蔵造りの町並みをゆっくり訪れたいですね。
(別HPの過去日記から)
喜多院と仙波東照宮は20年ぶり。ピンクの華やか梅に迎えられ拝観。ついでに五百羅漢さまの楽しいお顔を拝んできました。
今度来るときは家族で蔵造りの町並みをゆっくり訪れたいですね。
(別HPの過去日記から)
本日は長野県下伊那郡南信濃村和田にある「かぐらの湯」に家族で出かけました。R151〜R418〜R152を経由しました。途中阿南町新野にある「道の駅」で腹ごなしをしました。細君は五平もち、息子はあまごの塩焼きが気に入った様子でした。道中の天龍村には「おきよめの湯」もあり、以前立寄ったことがありますが、本日は通過。
南信濃村、上村は遠山郷と呼ばれ、神事芸能霜月祭が伝承される土地として有名な地域です。
和田を訪問するのは10何年ぶりでしょうか。その日は民宿に泊まり、地元和田の祭ではなく、木沢八日市場の日月神社で行われた祭を見ました。四面のエネルギッシュな舞いと神婆と神太夫の所作のおかしみが思い出されます。各地の面の調査をしたのは飯田市美術館さんと遠山常民大学との共同だったように思いますが、大学で後藤某先生から面の歴史を学んで感化され、当時すっかり祭り男?になっていた私は、充実したパンフや遠山郷土館/和田城の展示に関心しながら見学したことを覚えています。
かぐらの湯は案内によれば『源泉温度43度の高濃度塩化物温泉(ナトリウム・カルシウム塩化物温泉)』ということです。露店風呂、サウナ、寝湯、打たせ湯、ジェットなどかなり充実しています。息子が飲料用のお湯を口に含むと「塩からい!」と連発していました。細君と息子はもっぱら地元の物産品に目を奪われていました。
かぐらの湯ですっかりリラックスした後、ひさびさに遠山郷土館へ。すでに時間外になっていたので館員さんと少し話をしただけで引きあげました。ちなみに1階はマルチビジョン霜月祭り、2階が領主遠山氏ゆかりの展示、3階は霜月祭りの複製面の展示となっています。
郷土館に隣接する曹洞宗盛平山龍淵寺は和田城址にあります。領主遠山氏の居館であったのではないでしょうか。遠山氏は江戸初期に改易となり没落し、当地は天領となっています。城の遺構とよべるものは特に見当たりません。境内にある城址碑、説明板がここが城址であることを示しています。なお境内裏手にある老杉の下は遠山氏一族の墓地となっています。盛平山の削平地が物見台となっていたといわれています。
また機会があったら、村内をゆっくり散策してみたいと思います。
☆遠山郷サポート倶楽部アンバマイカ
http://www.tohyamago.com/
南信濃村、上村は遠山郷と呼ばれ、神事芸能霜月祭が伝承される土地として有名な地域です。
和田を訪問するのは10何年ぶりでしょうか。その日は民宿に泊まり、地元和田の祭ではなく、木沢八日市場の日月神社で行われた祭を見ました。四面のエネルギッシュな舞いと神婆と神太夫の所作のおかしみが思い出されます。各地の面の調査をしたのは飯田市美術館さんと遠山常民大学との共同だったように思いますが、大学で後藤某先生から面の歴史を学んで感化され、当時すっかり祭り男?になっていた私は、充実したパンフや遠山郷土館/和田城の展示に関心しながら見学したことを覚えています。
かぐらの湯は案内によれば『源泉温度43度の高濃度塩化物温泉(ナトリウム・カルシウム塩化物温泉)』ということです。露店風呂、サウナ、寝湯、打たせ湯、ジェットなどかなり充実しています。息子が飲料用のお湯を口に含むと「塩からい!」と連発していました。細君と息子はもっぱら地元の物産品に目を奪われていました。
かぐらの湯ですっかりリラックスした後、ひさびさに遠山郷土館へ。すでに時間外になっていたので館員さんと少し話をしただけで引きあげました。ちなみに1階はマルチビジョン霜月祭り、2階が領主遠山氏ゆかりの展示、3階は霜月祭りの複製面の展示となっています。
郷土館に隣接する曹洞宗盛平山龍淵寺は和田城址にあります。領主遠山氏の居館であったのではないでしょうか。遠山氏は江戸初期に改易となり没落し、当地は天領となっています。城の遺構とよべるものは特に見当たりません。境内にある城址碑、説明板がここが城址であることを示しています。なお境内裏手にある老杉の下は遠山氏一族の墓地となっています。盛平山の削平地が物見台となっていたといわれています。
また機会があったら、村内をゆっくり散策してみたいと思います。
☆遠山郷サポート倶楽部アンバマイカ
http://www.tohyamago.com/
ここしばらく体調がいまいちでしたが、息子のたっての希望により岐阜市歴史博物館に出かけました。妖怪好きの息子が特別展「大水木しげる展」(6/3〜7/24)をほかっておくはずがありません。かくいう私も大の水木先生のファンなのです。貴重な原画など数々の展示に感動しました。それにしても、人魂のテンプラや怪奇死人帳の展示とは・・・すごい。キャラクターグッズの販売もやっているので、息子は目玉オヤジのまくらなどを買っておりました。
夕方になって急に金華山ロープウェーに乗りたいと息子が言い出したので、仕方なく山頂へ。久々の岐阜城訪問でした。眼下には10年前の勤務場所も望めました。駐車場の確保に失敗したこともあってへとへとになって帰還しました。その後体調急変と相成りました。
☆岐阜市歴史博物館 http://www.city.gifu.gifu.jp/event/rekishi
夕方になって急に金華山ロープウェーに乗りたいと息子が言い出したので、仕方なく山頂へ。久々の岐阜城訪問でした。眼下には10年前の勤務場所も望めました。駐車場の確保に失敗したこともあってへとへとになって帰還しました。その後体調急変と相成りました。
☆岐阜市歴史博物館 http://www.city.gifu.gifu.jp/event/rekishi
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本日は小雨降る中、ファミリーランドや蓼科の水族館で家族サービスに終始しました。日本一高い場所にある水族館・・・。ここは細君於立っての希望で訪問しましたが、ちょうどクワガタ&カブトのイベントもやっていて、親子共々満足といったところ・・・。夕方は伊那市方面へ移動し、2泊目。
白樺湖池の平に行きたいという息子の希望を入れて旅行に出かけました。自然山梨旅行は直前になってボツに・・・。細君は松本方面での宿泊を希望しましたが、これもボツに。3年ぶりに松本城にも行こうと思っていた私も残念。
初日の諏訪大社上社本宮→間欠泉→高島城という細君の希望コースは息子の切れまくりで変更を余儀なくされました。で、あまった時間を諏訪氏ゆかりの桑原城址と上原城址の散策に割り当てました。その後、蓼科高原経由で白樺湖へ。雨天でしたが、屋内プールに息子はご満悦。
初日の諏訪大社上社本宮→間欠泉→高島城という細君の希望コースは息子の切れまくりで変更を余儀なくされました。で、あまった時間を諏訪氏ゆかりの桑原城址と上原城址の散策に割り当てました。その後、蓼科高原経由で白樺湖へ。雨天でしたが、屋内プールに息子はご満悦。
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